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対馬 防衛の島


対馬 行ってきました。なぜか 中国系の方が別荘をということで、海に接した約3000坪の候補地を見てきました。対馬は、山ばっかりです。驚きました、どこに別荘を建ててもたぶん外海からそれを見つけるのは無理。要塞のような基地のような建物を想像してしまいました。施主さんは、自分の船をつけられて、眺めがよくてということですが、そういったニーズにはぴったりの土地。上から見ると、よくわかります。たまたまホテルの夕食時に隣に来られた横浜の大学教授にお聞きしましたが、対馬って山が多すぎて大昔から稲作はほとんど無理。そのかわり、豊穣の土地である大和の防衛ラインとしてやたら神社が多いそうです。空から見ると、島根の出雲大社は半島からわたってきた昔の先進文化人が大和の本土に上陸して一番沿岸地帯の高い山を最初の上陸拠点にした地形がよくわかります。で、対馬は、その前の海上の拠点でしょうか。逆に大和朝廷が本土を統一してしまえば、異文化の大陸からの侵入をこの東シナ海の海流がぶつかる対馬で防衛監視しようとしたのもうなずけます。今ならさしずめ、沖縄の基地のような感じだったのでしょうか?昔の神社は、出城のようなそして、地域社会への給付金の窓口のような(今の沖縄振興基金みたいな)役割があったそうです。で、その多い神社の大元締めが、伊勢神宮になるそうですが、いつも、空から歴史を感じ飛んでいると、どうして、伊勢神宮が日本の地場信仰の中心になっていったのかずっと疑問でした。京都や奈良は、盆地、交通の要所ですぐ理解できますが、どうして 伊勢なの?というわけで、聞いてみました。教授の話によれば、最初に稲作文化が上陸したと思われるこの対馬では、稲作は根付かずその代り、稲作の恵みのおおもとである太陽の上る方向(つまり東)を目指して、まっすぐに東に向かえば伊勢神宮にぶち当たるというのです。つまり 対馬と伊勢神宮は緯度が同じ!!!?? だから、稲作文化を携えてやってきた先進文明人が東へ東へと進み、それ以上行けなくなったところで、文化の拠点としたというのです。

うそー!! と思いませんか?イメージでは 対馬がずっと北で伊勢は南にあるような感じ。


で、調べて驚きました。伊勢は、北緯34度30分 で 対馬は34度30分!! ぴったり同じ!!

なるほど、東へ東へと、太陽を求めていくと、最後の海岸線が伊勢神宮になるといいます。その向こうは 太平洋。東京や東海は少し北に折れているので、東に向かうならココが最後。そこを大和の神の中心にして、上陸地点の出雲は防衛ライン、対馬は、海の前哨基地というところでしょう。で、その防衛最前線の対馬は、もう韓国まで40キロ。10分も飛べば外国です。その前に 中間の国境線がるので、ぼんやり飛んで、5分もすれば韓国の戦闘機にスクランブルされます。なので、今回は対馬の海岸に沿って安全飛行しました。たぶん、その間 日本と韓国両方の防空レーダーで逐一追尾されていたことでしょう。


そういう緊張した空域の中にある空港だけに いつもは出入り自由な感じの自家用機パイロットやVIPが出入りする管理エリアには最初からセキュリティーがしてありました。

(対馬の写真はいずれも空港近く。今回視察に行った候補地とは関係がありません。)

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